朝を担う神々の里

熊野大社が出雲大社より位が高かった時代、
熊野の神の朝食を担った朝酌。
朝を担当することから「朝組」と呼ばれていたと
言われています。
出雲風土記にはこう記されています。
「朝酌の促戸せと、東に通(かよい)路あり、西に平原
あり、中央は渡りなり。則ち筌うへを東西に渡す。
春秋に出入る大小雑(くさぐさ)の魚、時として筌の辺に
来あつまりて、おどろきはねて、風のごとく圧(おし)、
水のごとく衝つき、或は筌を破壌(やぶり)、
或は日魚(ひうお)となりて、鳥に捕らる。
大小雑(くさぐさ)の魚にて浜さわがしく、家にぎわい、
市人(いちひと)四方より集い自然(おのずから)に市を
なせり。」

かつて朝酌の地は交通の要衝でもあり、
多くの新鮮な海山物が集積された
最も賑わった地域なのです。

宍道湖のしじみ漁師の中で「手掻き漁」を
おこなう漁師は一部で、その「手掻き漁師」が
ここ朝酌には多く存在します。
それは、神様の朝を担っていたDNAが息づいて
いるからなのです。
「朝を担う」歴史に記された食材の流通の
中心・朝酌はいま再び、「しじみの里」として
食の拠点となるべく動き出しました。
「手掻きしじみ輝」を中心に多くの漁師たちの
夢のかたちとして・・・。
そして山陰の様々な良質な食材が集う
プラットホームとして・・・。